2014年10月10日金曜日

クライミングジャーナル #32

あーおもしろい、クライミングジャーナル32号。


○いま注目の岩場 裏六甲不動岩
織田博志。5.11台までの一大エリア。


○特集 現代フレンチ・クライミング
「活躍するプレンチクライマーたち」、「J・B・トリビュのハード・クライム」、「フレンチ・フリークライミングの台頭」


○連載3 クライミング・ハンドブック「ムーブのテクニック ガイダンス」
「ジャミング(Jamming)・テクニックは、ビギナーにとってはわかりにくいテクニックだが、一度マスターすれば、(それほど)複雑なものとは感じないはずだ。」コブラ・クラックなんかを考えると、クラック・クライミングは全く考えられなかったくらいに発展してるようです。


○この秋に登りたい宮崎の岩場 
宮崎登攀倶楽部。広タキスラブ、硯岩スラブ(UFO岩)、行縢山(むかばきやま)、比叡山、矢筈岳(やはずだけ)。宮崎すごい。スケールがでかい。


○奥多摩・白妙フェース
《新青梅怪道》(5.11d)、1987年8月10日、小林幸雄(ザ・テンション・プリーズ)、松島晃(同)。「今週もかっとんで行きます、ドライバーは、幸ちゃん、当会唯一の冷房車所有者、そして誰もが彼の車を、動くモーテル・カーSEXバージョンと呼び、向かうは奥多摩のビュークス、カルケールへ。そして当会は、あまりにも軟弱クラ部、ゆえに今回は強力な助人、チーム69の井上健二氏と、金銭トレードで獲得した堀越隆正氏をむかえ、雨の日でも登れる様なルートを作ることにしました。その第一弾がWARで、これは第二弾になります。気象庁御推薦、NHKの倉嶋さんも太鼓判5.12突入ルート。そして今回もドイツ方式よろしく、ボルトを先に埋め込んで、トップロープは止め、リードのみで作りました。核心は二本目と三本目のボルトの間で、通称像の鼻を取りに行く当り。初登はスカッと幸ちゃんが決め、私も続き、8月10日ルートを完成させました。」

《WAR》(5.12a)、1987年3月21日、小林幸雄(ザ・テンション・プリーズ)、松島晃(同)。「取付きは新青梅怪道と同じで、直上して左へトラバース。すぐボディ・マシーンのルートに合流、7メートル登って終了。」


○奥多摩・越沢バットレス《龍ルート》(5.10a-b)


○小川山・兄岩《スケアクロウ》(5.11c)
1987年8月4日、橋本佳代子(同人α)、佐藤豊(JECC)、矢島隆明。「核心部は一本目と二本目の間で、ダイレクトに登って5.11a~b。・・・使用ギア フレンズ1 1/2番、2 1/2晩、3番、ロックス2番またはトリプル0番。」トリプルって何?発表時のトポではボルトは上部の3本のみだけど、100岩を見ると、今は全面ボルトルートになっているようだ。


○小川山・屋根岩2峰周辺
《Pride One》(5.10d)15m。1987年8月10日~11日。田中(イカロス)、志賀光則(イカロス)、村上紀之(イカロスⅡ)。「下部のカンテは使わないこと、ボルト四本目クリップ後、左のカンテを使用して登るとグレードは5.10cとなる。」

《板橋音頭》(5.7)8m。1987年8月10日。綱信隆(チーム・イカロス)、志賀光則(同)。《Pride One》右のスクイズチムニー。「使用ギアはトリプル2番。」

《くのいち》(5.11b~d)、《子忍者》(5.12b)。1987年8月4日~15日。岩森仰(山岳同志会)、堀洋平(同)。「フェースみたいなスラブです!くのいちは取り付きの木を使わない。カンテより左のホールドを使うと5.11bになる。子忍者は取付の木を一本目のボルトまで使う。」


○小川山・スラブ状岩壁周辺
《小さな親切大きなお世話》(5.10b)。1987年7月12日。大平博正(チーム・ジェラシー)、五味晃宏(同)、橋本真紀夫(同)、大塚良子(同)。「オバサン岩と命名」とあるが、100岩では「プチロック」になっている。冒険性があって楽しそうなスラブ。「全体にボルトのキキがやや甘い。」


○涸沢岩峰群
《父ちゃんのバカ》(5.11b)。1987年5月6日。綱信隆(チーム・イカロス)、志賀光則(同)。「三本目のクリップができないので注意。」


小川山・リバーサイドエリアの発表
《アウト・オブ・バランス》と《コアラ》の間の謎のラインは、開拓中で、中間までで5.11cとある。100岩では途中までラインが引かれていて、途中からはボルトの表記のみ。まだ上までつながってないってこと?開拓者のリストには、土方敏彦さんの名。障子岩の《ロリータ桃子ダイレクト》の開拓者ですね。あれは爆笑だった。


○瑞牆山十一面岩末端壁
1987年8月14日~15日、西村豊一(湘南クライミングチーム)、日高健二(同)、大雲芳樹(同)。エアウェイ(5.12a)、ウェスト・サン(5.11-b)。
1987年7月19日、西村豊一(湘南クライミングチーム)。アストロドーム(シングル・ライト&レフト)。右が5.11b、左が5.11c。

○穂高岳屏風岩第1ルンゼで岩ナダレ
4人死亡、1人行方不明、3人重軽傷。アルパインってこわい。

○夢舞フリー・クライミング競技会
優勝は平山裕示。決勝ルートは、この時はまだ名前がついてなかったらしい《とろろ》(5.12a)。予選はリバーサイドの上部?使われなかったスーパーファイナルは《Working face》(5.12c)。現在は5.12b。

○室蘭・チャラツナイ海岸
Eフェース「レインボウ」。1987年5月31日、中林幸彦(室蘭RCC)、幕田茂樹(同)。2ピッチ、5.10d。

○谷川岳・一ノ倉沢
衝立岩・OVER TIME、第3登?

○北ア・剣岳八ッ峰袖の谷右岩壁
どんぐりルート開拓。1987年8月10日。永井豊(どんぐり山の会)、坂本憲正(同)、山口真(同)、星野公一(同)。8ピッチ、「岩質は花崗岩で硬いが全体的に草付ブッシュが多いのが欠点である。」

○北ア・穂高岳屏風岩
アウトサイダー、おひまならきてよね、コロナ、ミッドナイトエクスプレス、再登の記録。

○南ア・甲斐駒ヶ岳南坊主岩東壁
下部同志会ルート開拓。1987年8月14日、市山篤志(山岳同志会)、豊田敏夫(同)。7ピッチ、5.10b。

○頸城・能生川フヨ谷
1987年8月3日、鷹嘴勝之(東京緑山岳会)、樋口啄生、間野静雄(同)。

○白山北部・カベジシ谷奥壁スラブ《恐竜絶滅の謎ルート》
1987年8月14日、黒田人美(福井労山)、吉田智明(同)、篠原富和(縄文人)、斉藤寛次(GHMJ)。

○氷柱クライミングのムーヴ研究

○正月前に登れる(はずの)氷瀑はここだ!

○連載エッセイ2 山を攀じって30年
小松猛。

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