2016年4月24日日曜日

吉田さん講習@昇仙峡クラックエリア

吉田さん講習で昇仙峡クラックエリア。

心のうちに掲げたテーマは、オフィフィンガー。

小さなエリアで、吉田さんを囲んであれやこれや。

手取り足取り、とても勉強になりました。

オフフィンガーについても、大いに得るものあり。

帰りがけ、時間があって渓谷の狩人へ。

真のオフフィンガーに、返り討ちでした。

甲府の老舗カレー屋、ナイルで一休み。

こころ落ち着く欧風カレーでした。

2016年4月18日月曜日

センチュリーから、ハードグラニット

いつものパートナー松氏とクライミング。

まずはday3のセンチュリーでリード1回。前回わからなくなっていた下部の1ムーブをこなし、これまた前回わからなくなっていた中間部の1ムーブをこなし、テンション多数でトップアウト。

ここで、思いがけず、以前からブログ等で存じ上げていたソロクライマーと出会いました。嬉しいことです。

予定通り12時に撤収して、ハードグラニット。

傾斜があって斜上していて、TRを張るのに一苦労。この辺りも経験が圧倒的に足りません。TRで3回くらい。核心部のフェースムーブはなんとなく分かってきました。バチ効きの左ハンドをぶち込む一手がまだ。上部クラックは未着手。まだまだかかりそう。

松氏は早々に登ってしまいそうな気配が漂っています。われわれ巨人族にとっては、かなりありがたいサイズ感でした。

ハードグラニットという名前の由来はまだ聞いていませんが、ハードグリットを意識しているのではないかと思いました。一つには、ナチュラルプロテクションの上での難しいフェースムーブ。そしてもう一つは、そのムーブに失敗した時にスラブに叩きつけられるリスク。

ハードグリットといえば、これ。Gaiaです。



最近これを登ったショーン・マッコールがこちら。



トップロープでムーブを固めて登っています。

こちらは、アレックス・ホノルドのオンサイトトライ。



どちらが見応えがあるかと問われれば、まちがいなくアレックス・ホノルドでしょう。ショーン・マッコールのレベルのクライマーがトップロープでムーブを固めれば、このルートで落ちる気配は微塵も感じられません。

トップロープでムーブを固めるのは、ハードルを下げることだと言えるでしょう。もちろん、許容できるリスクの量と、リスクにさらされた時に発揮できる実力は、人それぞれではありますが、TRでのムーブ固めはほどほどにしないと、クライミングの面白さを損なうことになるのかもしれません。

それに、経験の浅い僕には、ナチュラル・プロテクションでガツンガツン落ちながら前進する体験は、これから上達するためには必要なことだとも感じています。スポーツルートで落ちることを極端に恐れていると上達できないのと同じこと。核心手前のカムの効きはいいはずです。固め取りもできます。でも、経験のない僕には、怖いです。

何としてでも登りたいday3

2016年4月中旬

かぶった凹角day3。


前回の怪我があり、岩の前に立つと緊張感が高まります。今回も、ジャイアント・スウィングに耐えられず、手のひらと指を盛大にカット。なんてこったい。

傷心物語

傷心にダメ押しの肘鉄。エルボー・ロックという新たな技術を習得しました。チクタクを交えてムーブを考えさせられるいい課題でした。

その上流のフィンガークラック。難しくないですが、ほんの数ヶ月前まで何もできなかったに等しいフィンガージャムがきまることが、それだけで嬉しいです。

その上のハンドは、掃除だけ。チップ&デールクラックに似た装いだけど、スメアできそうなフットホールドがあるのが残念。

2016年4月14日木曜日

何としてでも登りたいday2

2016年3月下旬

かぶった凹角day2。

右手リップにドッカン。落ちどころはここかな、と思ったところのマット2枚分の場外に吹っ飛んで、突き指。マット増量が必要です。

手のひらと指をカットして、盛大に流血。

2016年4月11日月曜日

第4回・隙間でズリズリ有志の会

第4回となった有志の会。山森さん、じゅんさん、松氏と。

前回の業務連絡でお伝えした難しいルーフを攻略するために、呼びかけに応じていただきました。隙間課題が充実してきたこのエリア、そろそろ登った課題に名前を付け、未登の課題には仮名を付けておかないと、コミュニケーションに支障をきたすようになってきました。


まずはじめは、前回僕が登った冗談みたいな隙間。山森さんが、右のお立ち台に立ちスタートを追加。挟まる他にも数種の登り方ができて、答えのない中でいろいろ試すと楽しいです。


引き続きアップで、前回登った正統派ワイド。


右を向いたり左を向いたり、ワイド登りの基本を試せていい隙間です。そのままですが、《正統派》と呼ぶことにします。


次は本題その一。山森さんが以前から目をつけていて、数度にわたる掃除の結果ようやく乾いた立派な隙間。松氏がナイスムーブを発見し、それをそっくり真似して、僕が初めに登らせていただきました。以前、ダイバーさんと行った八千穂高原の《フィストクラック》でも体験したことですが、クラックが大きくオフセットして横または斜めに伸びているときは、その段差にお尻を載せてしまうのがいい、これはワイドのセオリーなのかもしれません。


形状、ムーブ、下地を考えると、みんなで取り組まないとこの課題を登ることは難しかったでしょう。全員揃って完登で、会合を開催した甲斐がありました。これは《パックマン》ということで。この左上は、《くの字》(仮)ということでどうでしょう?


さらに、本題その二。前回、あれこれ試してムーブが分からず、今回の会合の開催のきっかけとなった、難しいルーフの隙間。これをなんと、山森さんが一撃初登。圧巻のクライミングでした。素晴らしいクライミングを見て、刺激を受けました。僕はあれこれ苦労して、なんとか完登。


まだいくつかの課題がのこっています。次回が楽しみです。


○その他の課題

いろいろ名前を付けておきましょう。


つるつるワイドは、今のままつるつるワイドでもいいのですが、《遥》。「はるか」と呼びます。井川遥の豊満な唇を思わせる形状と岩肌から。


これの両足ぶら下がりスタートのラインは、《たまご》です。


こちらは、《ぬくもり》です。アップに最適なので。

2016年4月7日木曜日

ベルント・ツァンガール・インタビュー和訳の重箱の隅をつつく

ロクスノ71号(2016年春)に掲載されたベルント・ツァンガールのインタビュー。UKCに掲載されたものの和訳です。訳者は、羽鎌田学氏。内容は激アツなんですが、その和訳がいろいろひどいので、重箱の隅をつつくようにコメントしておきたいと思います。

その1

満足なプロテクションもとれないままに、雪や氷が詰まった、濡れて汚らしいチムニーを登り
原文は、
Finally I was climbing up some wet and dirty chimneys, mixed with ice and snow without any possibility for protection.

まずは本当に重箱の隅をつつくところから。"without any possibility for protection"ですから、「何のプロテクションもとれず」といったところでしょうか。誇張かもしれないけれど、ツァンガーアルが"without any"と言っているのですから、そのまま「何の」としておくのが良いのでは。

その2

同時に、腕試しにクライミングコンペに参加したこともありました。
原文は、
I tried my luck in competitions,
これまた重箱の隅を。実際はどうかはわかりませんが、本気で取り組むつもりはなく軽い気持ちでやってみたんだよっていう、半ば冗談のような感じでしょうか。そのまま「運試しに」としておけば良いのでは。

その3
未登の岩の塊を探し出し、それを登るためのムーブを解き明かすことが私を虜にしているのです。
原文は、
I love to search, to discover and decode unclimbed pieces of rock.
「岩の塊」ってなあに?"pieces"ですから、複数の岩でしょうね。日本語に複数形は不要だから、「岩」で良いと思います。

その4
岩を掃除し、その表面の手がかり、足がかりになる起伏を探し求めることが好きなんですね。
原文は、
I love to brush rocks and search for structures to hold on to.
ツァンガールが"clean"ではなく"brush"と言っているのですから、そのニュアンスを残して、「ブラシで磨いて」くらいで良いのでは。「表面の手がかり、足がかりになる起伏」ってなあに?起伏って言わないよね。ホールドで良いでしょ、読むのはクライマーなんだから。「使えそうなホールドを探す」です。

その5
ボルダリングとは創造であり、かつ限界の突破である
原文は、
Bouldering is about creativity, pushing limits
「創造性」です。

その6
フレッド・ニコルがあなた自身のボルダリングに大きなインスピレーションを与えたようですが、例えば彼のどの課題をぜひとも登ってみたいと思いますか?
原文は、
Fred Nicole seems to have been an inspiration for your own bouldering. What was it about his problems which made you want to repeat them?
これは意味が全然違ってて大問題。文法的に理解できないところがあるのですが、"was"、"made"と、過去に登った課題の話をしていますし、「どの課題」とは聞いていません。理由を問うています。「フレッド・ニコルの課題のどこに魅かれるのですか?」で良いでしょう。

その7
自分たちのオリジナル・グレーディング・システムは使っていましたけどね。それはシンプルで、単に「登るか」「やめておくか」でしたよ。
原文は、
We had our own grading system: It goes, or it doesn't go!
主語はitで、たぶん課題のことなので、「登れるか」「登れないか」。

その8
ひとつだけ選べと言われたら、それこそ最難課題ですよ。
原文は、
It's hard to choose ONE highlight
これまた意味が全然ちがう大問題。形式主語のit。「どれかひとつを選ぶのは難しいですね」です。英語は中学生レベル。さらに、ツァンガールはこのインタビューにおいて難しさだけではないボルダリングの魅力について語っており、難易度が最も重要であるとするのは、彼の本意を歪めるものでしょう。

その9
ノルウェーのトロンハイム近くの、のどかな雰囲気に包まれた辺鄙な島にある巨大な岩の塊の前では、今まで見たことのあるボルダーはすべてが文字通り色あせてしまうくらいで、
原文は、
This massive block on a remote, idyllic island near Trondheim literally dwarfed everything I'd done before…
「文字通り色あせる」って、どういうこと?岩の色が薄くなるの?そのまま、「ちっぽけなものに見える」で良いでしょう。

その10
地面から4mほど上にある核心には、かなりてこずりましたよ。そこを突破するのに150回以上のトライが必要でした。それは同時に、150回以上飛び降りなくてはならなかったということです。
原文は、
without the opportunity to check out the uncompromising crux 4m above the deck, more than 150 tries were needed. 150 jumps, 150 falls
「ランジムーブを150回以上試み、150回以上落ちました。」自ら飛び降りたのではありません。また、この部分はグラウンドアップの説明であり、"without the opportunity to check out"は重要ですが、和訳では抜け落ちています。

その11
2007年に初登したAnam Cara(初登時8C)も欠かせませんね。地元オーストリアのエリア、シルバパルク・ガルツゥアー(ジルブレッタ)に設定した課題です。再登者によってヒールフックを使った核心の新しいムーブが発見され、ダウングレード(8B+)されましたが、私はこの課題を再登することによって、薬指の筋の厄介な障害を克服できたことを確信したのです。
原文は、
I also want to mention this climb located in the Silvapark Galtür (Austria)!

(It has been downgraded because the repeater found a way to do the crux with a heel hook)

With the FA of Anam Cara I proved to myself that the tendons of my ring finger had recovered from a complicated injury
ツァンガールの初登後に新ムーブが発見され、そのムーブでツァンガール自身が再登し、その過程で故障を克服したのかと思ったら、そうではありません。"With the FA"ということで、初登によって故障を克服したという話しです。

その12
私の指を診察した医者の何人かは、私は二度と岩を握れず、ボルダリングを断念しなくてはならない、と宣告していたのですから。
原文は、
Some doctors told me that I would never crimp again and that I had to stop bouldering.
"crimp"は「クリンプ」で良いと思います。クライマーなら意味は分かります。といっても、実はcrimpが何を指すかは、技術書によって異なっていて、統一された定義はないようです。親指をかけるものに限定するか、親指をかけないものを含むか、とか。それとともに、open handも多義的です。技術書によっては、crimpをclosed crimp、open crimpと分けているものもあります。ということで、不明確なところはあるものの、細かいことは大事じゃないので、「クリンプ」で良いと思います。

その13
あたかもグレードとそれを表す数字が、ボルダリングだけでなく、クライミング全体のなかで重要な位置を占めてしまっている。
原文は、
It seems as if grades and numbers are all that matter in bouldering or climbing in general.
"grades and numbers"のgradesはグレードですね。では、"numbers"は何でしょうか?完登したV15の「本数」だったり、完登までに要したトライ「回数」の少なさだったり、「日数」の少なさだったり、そういったものを含まないでしょうか?もっと言うと、あるグレードを完登した「年齢」の小ささも含むかもしれません。ツァンガールの真意はわかりませんが、そのわからなさを残すためにも、わからないところはそのまま「グレードと数字」としておけば良いのでは。
あと、"are all that matter"ですから、「グレードと数字が全てであるかのような雰囲気があります」。単に重要なだけでなく、それが全てになってしまっている、というところが大事だと思います。

その14
それに、例えば、「あくまで個人的な基準だ」と言ったところで、グレーディングはすでに当初の、本来の目的を失ってしまっているのではないでしょうか。
原文は、
With the notion of „personal grading“ the rating has lost its original purpose, anyway.
「個人的なグレーディング」の概念を始めてここで知ったのですが、何なんでしょう?そして、この概念は、グレーディングの本来の目的に合致するものなのでしょうか?それとも、目的喪失に寄与したものなのでしょうか?下記「その16」のMeadowlark Lemonの記録から推察すると、「個人的なグレーディング」は、ダニエル・ウッズやジミー・ウェブが既成のボルダー課題のグレードを再確認する際に持ち出した概念のようです。この辺りを理解するためには、ダニエル・ウッズらの動きを理解しないといけないし、"original purpose"が何を意味しているのかを理解しないといけません。
"anyway"は、上記のグレードが全てになっていることを受けてのものですが、「例えば」ではないでしょう。「いずれにせよ」くらいでは。

その15
いま一度、ここでグレーディングシステムの目的について論じ、それを構築するためには何が必要なのかを皆で考えるべきでしょうね。
原文は、
We should debate the purpose of today's grading system and what needs we want it to fulfill.
これも意味が全然ちがう大問題。後半、what needsでひとまとまり、「いかなる要望」です。what we needではありません。itはgrading systemです。"we want it to fulfill"は、what needsにかかります。「みんなでよく考えなければなりません。私たちは、グレーディングシステムがどのような要望を満たすことを期待しているのでしょうか。」、ということですね。

その16
自分の課題がダウングレードされることは問題ではありません。グレーディングは、きっかけを作り、コミュニティとかメディアとかを動かすための、ひとつの”手段”とも言えるからです。
原文は、
The downgrading of some of my boulders was not the problem. It was the "way“ everything started and how the community and media acted. 

ここはよくわかりません。問題は、"the comunity"が何を指すかです。これを単に「コミュニティ」とするのでは、それが何なのかがわかりません。ひとつのアイデアとして、"the comunity"は、多くのボルダー課題のグレードを引き下げているボルダラーの一派、つまり、ダニエル・ウッズやジミー・ウェブらのことと考えるのはどうでしょうか?正直言って、僕はこのあたりの事情には詳しくないのですが、ロクスノ63号の竹内俊明さんのMeadowlark Lemonの記録に、ちょっとだけ書かれています(で、その記録を確認したら、もともとV15とされていたMeadowlark Lemonについて、この二人が「パーソナルグレード」をV14と発表したとの記述がありました。上記「その14」と関わることです)。
この仮説に基づいて、「自分の課題がダウングレードされることは私にとっては問題ではありませんでした。ダウングレードの動きはここから始まったのです。あの一派とそれに煽られたメディアは、そうやって動き出したのです」なんてのはどうでしょう?自信なし。

その17
そもそもグレードは客観的な基準ではなかったし、今後も決して客観的な尺度にはなりえないと私は考えています。ただ現状は、次第に、より主観的な基準に左右されてしまっています。そしてボルダリングコニュニティは、ひとつのニュースを前に、不誠実な反応をする羽目に陥っているのです。
原文は、
Grades were never meant to be objective and I don't think they ever will be objective. Progression in the sport is resulting in more and more subjective scales, but the community acts duplicitous when confronted with the topic
グレードが客観的でないということは、主観的ということで、それが、現状は「より主観的」になってしまっていると。そのことが望ましくないことのように訳されています。主観的より主観的って、どういう意味? butの位置に着目し、それ以前とそれ以後に分けて考えるべきでしょう。the topicを「ひとつのニュース」としていますが、どのニュースなのか不明確です。たぶん、グレードという話題のことです。
「ボルダリングというスポーツの進展に伴って、グレードの幅はますます主観的なものになっています。問題は、グレードに関するボルダリング・コミュニティの反応が誠実とは言い難いことです。」不誠実な反応とは、この後に続く文章のことです。

その18
彼のグレードについてのコメントをぜひとも聞いてみたい。反響は少なくないでしょうね。
原文は、
I am interested in their grade suggestions, but which weight should it be attributed to in the public?
和訳では、彼(=アダム・オンドラ)のグレーディングを聞いてみたいということになっています。しかし、"their grade suggestions"なので、一人ではありません。アダム・オンドラに関するこの部分は、和訳ではその前にアシマ・シライシに関するトピックとは別の段落になっていますが、原文では一つの段落です。theirは、アシマ・シライシとアダム・オンドラの二人のことか?
後段の、 "which weight should it be attributed to in the public?"は全然わかりません。この後に出てくる再登者と、初登者のどちらの意見が尊重されるか、ということでしょうか?

その19
リピーターの声
原文は、
Is the “brave” repeater the only voice which holds true?
「再登者」です

その20

例えば、8A+で公認されているなら、そこに私は、あえてシットスタートなどを付け加えたりしないでしょうね。誰もが、そのムーブに気づくわけではないでしょうし

原文は、

I don`t give a sh*t, if the “+” behind the 8a is authorised, because nobody can really tell.

ここが一番の問題でしょうね。「8Aの後に+をつけることが公認されるかどうか、そんなことは私にはどうでも良いことです。誰もその違いを説明できないのですから。」訳者は、シットスタート(sit-start)をshit-start(うんこスタート)だと思っていたのでしょうか?

その21

同じ岩の左端には、何年か後にトニー・ランプレヒトがボルトを打って短いルートを設定しました。

原文は、

Years before, Tony Lamprecht bolted a short sport climb far left on the same rock.

ボルトが打たれたのが、ツァンガールが29 dotsの岩をはじめて見た後なのか前なのか定かではありませんが、「数年前に」で良い気がします。

その22

でも、そのエリアを訪れるたびに、そのボルダーの前で足を止めて眺めていたのですが、私の脳裏から当初のアイデアが離れることは決してありませんでした。

原文は、

Every time I passed the area, I stopped, I looked, but the idea went away.

これも意味が全然ちがう。「そのエリアを通るたびに、私は足を止め、その岩を見上げていました。しかし、そこを登ろうという考えはどこかへ行ってしまいました」。で、この後の、今年になってラペルようやく取り掛かったという流れです。

その23

スタート地点になるところにもそれなりの、なんとか使えそうなホールドはありました。

原文は、

At the bottom I found some razorblade holds to start. After three goes my fingers were bleeding. 

この後に続く、3度のトライで指は血まみれになったという文章を考えれば、"razorblade"は落とすべきではないでしょう。

その24

29 dotsは今までで最高に面白いハイボールです。それはもう美しいラインです。ただ、ホールドがひとつでも欠けたら、ラインとしては消滅してしまうでしょう。

原文は、

29dots is the most amazing highball I have ever done. It's so pure. If only one crimp breaks, the line might be not possible any more.

ぜんぜんだめ。前半と後半を「ただ」でつないではいけません。ただ一つのエッジが欠けただけでも登ることができない、登ることのできるラインが高い岩のてっぺんまで奇跡的に繋がっている、そのことがpureなのです。逆接じゃないんです。

その25

初登時には2枚のクラッシュパッドを敷いただけでした。(中略)確かに、ある程度の高さまで登ってしまったら、飛び降りることはオプションとして考えられません。私は2枚のクラッシュパッドを敷いて、取り付きのところにはもう一枚の小さなパッドを補助に置いたのですが、(以下略)。

原文は、

I put two pads on the ground on the first ascent, as we always do in Magic Wood or Cresciano. Falling from a certain height is never an option. i used two pads and one little pad to start with!

「確かに」を入れてはいけません。「飛び降りるつもりはないから2枚でも十分」ということではなく、「たった2枚では落ちることは許されない」です。"Falling"は、落ちるです。jumping offではありません。

その26

ただし、ハイボールに手を出すのは、それはもう特別なときだけです。

原文は、

But highballs are always special moments in my life.

特別な時にハイボールに手を出すのではなく、ハイボールを登る体験は常に自分にとって特別なもの、ということです。

その27

あなたは若者にボルダリングを紹介することに多くの時間を割いているようですが、(以下略)

原文は、

You have spent a lot of time introducing young people to bouldering.

若者にボルダリングを紹介するのではなく、若者をボルダリングに紹介する、となっています。「ボルダリングに引き入れる」といったところでしょうか。

その28

体を動かすのが苦手で、自分の体型にも満足できていません。

原文は、

they are more likely to suffer from movement deficits and feel bad about their bodies.

「体を動かすのが苦手で、自分の体に対する感覚も鈍くなっています。」

その29

そして世界中のホットなボルダリングスポットを訪れ、そのあたなのプライベートな時間を、インスタグラムとか、ツイッターとか、フェイスブックとかでシェアすることが求められています。

原文は、

You have to visit the "bouldering hot spots“ of the world and share your private moments on Facebook, Twitter or Instagram.

"bouldering hot spots“は、「人気のボルダリングエリア」といったところでしょうか。自分がどうかは別として多くの人が行きたいと思うところ、というニュアンスを感じます。"private moment"は「個人的な体験」としたいです。この少し前に出てくる、ボルダリングはかつては個人的な体験であったというところとつながっています。



といった感じで、大事なことから瑣末なことまで挙げてみました。こういうのは、放っておくといつのまにか本当に言ったということになってしまいかねません。ロクスノは国立国会図書館に所蔵されて、日本国が存続する限り保管されます。UKCのウェブサイトがなんらかの理由で閉鎖されれば、残るのは誤訳です。天下のgoogle社は日本国よりも継続性があるでしょうから、とりあえずここに書いておくことにも意味はあるのではないかと。

気になっていることの一つは、グレードは主観的である(subjective)とはいかなる意味か、です。それについては、また今度。

書いていて思ったのですが、翻訳は、対象に対する中途半端な理解と中途半端な意欲ではできないものです。ALONE ON THE WALLを翻訳した堀内さんに、改めて敬意を表したいと思います。この本の話は改めて。

コメント歓迎です。